2008年9月30日火曜日

釣れづれなるままに 〜その①


一瞬の川の流れに永遠を想う

 自分はテンカラを始めるまで釣りをしたことがなかった。
(幼い頃に兄と一緒に近所の川で釣りをしたが、仕掛けが絡まりそれがほどけず、その面倒臭さがトラウマになり釣りが嫌いになった。兄は釣り好きで、中学の頃から独学でフライやテンカラをやっていた。自分たち兄弟が育ったのは宇都宮の真ん中だから、中学生の兄は自転車で何時間もかけて、小黒川や大谷川、鬼怒川まで行き、自分で毛鉤も巻いていた。小遣いは全て釣り具につぎ込んだ。当時そんな兄と仲が悪かった自分は兄のやることが嫌いだった。兄は趣味人でとにかくなんでもやった。ちなみに父も遊び人で、これまたなんでもやった。)
 それでも、魚を食べるのは好きで兄が釣ってきたヤマメや旅行先の釣り堀で釣るニジマスは本当に美味しいかった。(今では、自分が川で釣った魚はほとんど全部リリースしてしまうので、オフに行く管理釣り場の魚しか食べないが。)
学生の頃も先輩に職漁師みたいな人がいて、アマゴの薫製やアマゴ飯などを馳走になりその味の虜になった。
しかし、自分が釣りをしようなどとは一切思わなかった。趣味というものに興味がなかった。二人の反面教師のおかげで。
 
 それでも、学生の頃から山に行くのは好きだった。アウトドアとかキャンプとかそんな洒落たものでなく、ただ独りで山をぶらつき野宿をし、必要最小限のものでその日を暮らす、そんなことが好きだった。山の中を半日も歩けば自我が消え、自然と一体になれたような気がした。便利な世界から離れ、日常なら面倒だと思う生活の営みにも、意味を見いだすことができた。

 師匠との出会いを書こうと思ったが、話が長くなりなかなかたどり着かないので・・・・・・・つづく


偏光に変更?

 今回の釣行をブログにまとめていると、師匠から電話が入りました。納竿会に参加できなかった自分を気遣ってのことでした。(感謝)ついでに、このブログも見てくださったみたいで「おもしろいよ。」と言って頂きました。そして、偏光グラスのことについてこんなことを仰っていましたのでアップします。

 偏光グラスはあった方がいいと思う。遡行するとき川底が見えるから安全だし、やはり釣果に差が出る。特に初心者はあった方がいい。気付かずに見落としている魚もいるから。
昔はいい偏光グラスがなかったから掛けないですましてしまった。(昔、いくつか試したことがあるらしいです。)でも、今の偏光グラスは格段に良くなっている。
いろんな偏光グラスを掛けてみてその結果もブログに書いてくれるといいな。(そんなことできるかな?)

とのことです。ついでに、いいタモがあれば欲しいとも仰っていました。魚をいためずにすむし、大きな魚を取り込むのにやはり便利だと。

意外な発見。師匠も一般人と同じようなことを思うんです。
しかし、師匠は偏光グラスも、タモも使いません。道具に頼らないのです。
こう書くと、また「いやいや、そんなことはない。」と言われると思いますが、自分は師匠の釣りには道具なんてなんででもいい、必要ないと言っているのではありません。弘法筆を選ばずと言いますが、弘法はどんな筆でも素晴らしい字が書ける、ダメな筆は選ばない、と両方言う人がいます。師匠はまさにどんな竿でも、ラインでも、毛鉤でも即座に使いこなしてしまいます。(師匠にかかれば棒切れでさえ名竿、ゴミのような毛鉤でも名フライです。本当の話。)しかし、師匠の道具を見る目は天下一品。いい道具を持っています。
 何が言いたいかと言うと、師匠の釣りは日本的だということ。心技体の釣りなのです。(道具に頼り過ぎると自分を見失ってしまいます。)ただ師匠が言うのは自分の能力を最大限に発揮できる道具があれば使うべき、変に意固地になって凝り固まってはダメだということだと思います。常に先を見つめ自分の釣りの可能性を探り続ける、そこがまた師匠の凄いところです。また、テンカラを広めたい、誰にでも簡単に楽しく釣ってほしい、そういう想いがあるのだと思います。
 
 師匠はよく言います。

「当たり前のことをしているだけ、

難しいことはしていない。」と。

しかし、鬼の目に偏光グラスを掛けたらまさに、鬼に金棒。向かうところ敵なしです。

2008年9月29日月曜日

納竿


 29cmスレで掛かった雄アマゴ  

 27cmの綺麗な雌アマゴ 下流域のせいか婚姻色が出ていない
 (今回は携帯で撮った写真のため画質が悪い)

 今期もいよいよ納竿。9月最後の週末に師匠を始め皆集まるというのに、自分は土曜日は仕事で、しかも夜はその仕事の打ち上げ、「今日は、飲まなくてもいいですか?」と尋ねてみたが当然、答えはNO。やけくそにがんがん飲んで二日酔い。
しかし、どうしても諦めきれず、ようやく酒が抜けた11時頃になって、いざホームへ出発。
途中で帰路の山ちゃんと遭遇。早速情報を聞く。昨日は工事で川が濁り、まるで釣りにならなかったらしい。そして、今日は日曜日だからか工事もなく濁りはとれて、型は小さいが10以上掛けたと嬉しそうな山ちゃんだった。(良かったね山ちゃん、また来シーズンもよろしくね)
今日はみんなが釣った後だし、人も多いだろうから、あまり期待はできない。予報では明日は朝から雨、工事がなければ期待は持てる。まあ、ここまで来たんだからやるしかない。山ちゃんに別れを告げ再び出発!
 
途中下流部で竿を出すが全然だめ。15時過ぎにいつものポイントから入渓。
水はクリアで魚の出も悪くないが、やはり型が小さく20cm前後。こんなもんかなと諦め気分で、前回掛けきれなかった大物がいたポイントへ。
一投目、岩盤の一番奥へ・・・・出ナ〜イツ。
いつまでもいるわけないかと思いつつ、二投目、少し手前の一番深くなっているところへ・・・・出た!いいサイズだ。魚が潜ったところでゆっくり合わせを入れた。乗った!竿を寝かし手前に寄せようと思うがなかなか寄らない。なんか変だぞ、とよく見ると水から尾が出ている。

スレだ!バレては大変。

いくつか流れを下りようやく岸にヅリ上げてみると#10の毛鉤が尾びれの付け根に貫通していた。ちょっとがっかりしたが一匹は一匹と自分を納得させ記念撮影。29cmの立派な雄アマゴだった。できるだけダメージがないように鉤を外し、緩い流れに離すと元気に泳いで行った。
その後、25cmのイワナ、いつもの最終ポイントで25cmの雄アマゴを一匹ずつかけて終了。
 

 翌朝6時起床。予報通り小雨が降っていた。いつものポイントへ向かうと、既に餌釣りが一人入っていた。仕方がないので昨日脱渓したポイントから入渓。水はクリア。釣り始めると車が一台上流に向かった。クソと思ったが、焦ってもしょうがない。「平常心、平常心。」(師匠が出ていたNHKの「日本の釣り」で師匠に釣りを教わる中村勘太郎が言っていたっけ。)そのままつり上がるが、やはり型は20cm前後。しばらく行くと、先程の車の主の餌釣り2人組がいたので、そこで終了。

 修行の足らない自分はこのまま納竿することができず、前々回悔しい思いをした下流のポイントへ。失敗した時と立ち位置を変えて再チャレンジ。同じところを流しても魚は出ず、流心の筋に#6の毛鉤を入れて誘いながら流すと、魚が底から浮いてきた。数投目でようやくヒット!すぐに竿を寝かし取り込み成功。27cm雌アマゴ。色白の綺麗な魚だった。

 しかし、まだ納竿できずもう一度、今度は隣の筋へ。さっきのより幅広の魚体が毛鉤を追うが食わしきれず、毛鉤を変えたり立ち位置を変えたり、いろいろ試みたが結局流れの底に消えてしまった。いよいよ納竿と思いながら、その上の淵の流心の脇に毛鉤を射った。とガバッと水面が割れでかい魚体が姿を現し毛鉤をくわえた。とっさに合わせを入れたため、ズシンという感触を残してすっぽりと#6の毛鉤が抜けてしまった。合わせが早かったのだ。またしても悔しい魚をつくり今シーズンが終わった。

「くやしいです!」

2008年9月24日水曜日

鬼の目


 竿を振る師匠  師匠には何が見えているのか?

 自分たちは偏光グラスを掛けません。

(たただでさえ、人相が悪いのに偏光グラスを掛けたらよけい怖いから?)

そうではありません。

人相のいい師匠も掛けません。(鬼なのに人相は穏やかです、丘にいる時は。)

何故かというと、答えは簡単。

必要ないからです。

見えるんです。

逆に餌釣りとかフライで偏光グラスが必要だと言うのもよくわかりません。水面に出た目印であわせたり、ぽっかりと浮いたドライフライに出た魚を釣るのになんで必要なのか。フライの場合はサイトフィッシングが多いので、水中の魚を見つける必要があるという理由なら分かるのですが、ライズを探して釣るなら無くてもいい気もするし。)

 自分たちはフライの様にドライで水面を釣ったり、餌釣りの様に底を釣ったりもしますが、一番多いのが水面直下です。水面直下を流れる毛鉤も見ますが、毛鉤に出た魚の動きを見てあわせます。本当なら、テンカラこそ偏光グラスが必要なのでしょう。

“見える”というのは単純なことではないのです。

 人の視覚は見ているものを全て知覚認識している訳ではありません。見ようとするもの、つまり知っているものが見えているのです。
“知っている”というのはつまり経験によるものです。
そう、経験を積み重ねることによって“見えるよう”になるのです。
ゆえに、同じものを見ていても経験の違いによって見え方が変わってくるのです。
(もちろん、物理的条件や精神状態、天性によっても変わってきますが。)

 自分の知る限り師匠は誰よりも魚が見えます。いろんな逸話もありますが、一緒に釣行していて「あそこに魚がいる」、「ほら食ってる!」と言われ「え!どこ?」、「え!食った?」ということがよくあります。テンカラを始めた頃よりはそんな状況も減りましたが、まだまだ全然かないません。しかも、師匠の目には魚が出た時の一瞬の状況も、まるでスローモーション機能でも着いているんですか?と聞きたくなるくらい正確に見えています。

恐るべし、鬼の目

 これは全て師匠の経験と天性によるものです。幼い頃から川に学び育ち、その天性でどんな釣りでも、大人顔負けの腕前を身につけてきた師匠だからこそ見えるのです。どんな川でもどんな状況でも、どの岩やどの流れのどの棚に魚が着いていて、どこで毛鉤を食うのか、川と魚の生態を知り尽くしているからこそ見えるのです。抜群の動体視力も経験の賜物です。(速読者やプロ野球選手の目も訓練(経験)によるものです。)

状況を見る目、川を見る目、魚を見る目、まさに鬼の千里眼。

欲しい。

 その技術に憧れ師匠に付いたのですが、すぐに気付いたのがその目のすごさです。
自分に見えないものがこの人には見えている。見たいものが見えている。
自分が絵の勉強を始めた時と同じでした。

 世の中で凄いなと思う人は、アスリートであれ政治家であれ学者、芸術家、漁師、農民、教師、釣り人、なんであれ見たいものが見える卓越した目を持っています。

 経験を積むごとに少しずつ見えるようになるんです。
自分の職場の喫煙室に古びた手拭が飾ってあります。剣道師範の何かの記念品です。そこには、「鍛は千日の稽古、錬は万日の稽古」と書かれています。
煙草を吸いながらそれを見るたびに胸が熱くなります。


2008年9月23日火曜日

ばれた大物



これは、T川本流の29㎝のアマゴ。2枚とも同じ魚です。綺麗な魚ですが今回は脇役です。


 毎シーズン、「あの魚を掛けていれば・・・・」という悔しい魚がいます。

今シーズンも。あの魚を思い出しただけで・・・・

「くやしいです!」

というより脱力感、そして溜め息が・・・・

その魚をばらした時の話

 8月の最後の休日、夕間詰め狙いでホームの川へ。この時期各地でゲリラ雨なるものが発生し水害をもたらしていました。途中何度も雨に降られ、不安と期待が入り交じり、はやる気持ちもあって早く着きすぎてしまいました。川は前日の雨で増水し濁りが入り、天気は曇ったり晴れたりで何時雨が降り出すか分からない状態。普段ならこの時期に、こんな時間帯に竿は出さないのですが、絶好のコンディション、時間つぶしに竿を出すことに。

 道々、車の窓から川を眺め、いつもはあまり竿を出さない本流下流部で入渓。

ここは以前、師匠ががまかつのテスターとして実釣して見事尺アマゴを掛けたところです。
(あの時の師匠はすごかったなぁ。この話はまた今度。)

当然、辺りに人は見当たりません。大岩と大淵が連続するこの辺りは入渓者も多く、かなりいじめられているせいか魚も出ません。ここぞというポイントに#4の毛鉤を射ち込んでいきますが、水面は静まり返ったまま。ようやく出てもハックルを突いて帰って行くだけ。その後チビを1匹掛けて、大岩の際に毛鉤を射ち流心にそって流したとき、25㎝位のアマゴが一緒に流れ下りながら水中で毛鉤をくわえましたがあわせきれず、いよいよ最後のポイントへ。

 対岸の障害物の際に毛鉤を射ち、中から魚を誘い出すように流心に向けて水面直下を流します。少しずつずらしながら、数投繰り返すと笹色の濁りの中で白っぽい魚影が一瞬ゆらっと動きました。魚影は元の位置に戻らず、下流に下ったように見えたので、少しずつドラッグを掛けながら下流側を丁寧に探って行きました。流心に沈み石があり、その際から石裏の緩い流れに#4番の毛鉤をスーッ、スーッと誘いをかけながらゆっくり流すと水中からさっきの白い魚影がヌーッと現れ毛鉤が消えました。竿をそーっと立てるようにあわせると水面が割れ、バタン、バタンと体をくねらせその巨体を現しました。

でかい!

今まで管理釣り場でしか掛けたことのない大きさ。40とは行かずとも優に35㎝はありました。かなり竿が下流に寝た状態で掛けたため竿でためることができず、しかも岩の上に立っていたため、とっさに下流に下ることもできずに、そのずっしり重い竿を走られないように、ただそのまま持ち堪えるしかありませんでした。堪えきれなくなりバランスを崩しながら川に飛び込もうと、足下を見た瞬間、今までの重みが嘘のように軽くなり、竿には何の抵抗もなくなりました。「あーっ!」という叫びとともに、力無く流れに漂う黄色い糸を、呆然と眺めていました。
 
なんでだ!なんで、何が起きた!?」

あわてて糸をたぐり寄せてみるとハリスの先の毛鉤がありません。よく見るとハリスの先端が巻いていました。結び目から切れたのです。ハリスに傷がついていたのか、竿が伸されたために耐えきれずに切れたのか、どちらにしろ1号のハリスが切れたのです。自分のミスです。ポイントに入る前に、ハリスや結び目をチェックしておけば良かった。魚の出る位置を考えて立ち位値を変えておけば良かった。竿を4.5から5mのズームにのばしておけば良かった。頭の中を後悔がぐるぐる回りますが後の祭りです。二度と出会えないかもしれない大アマゴは#4の毛鉤をくわえたまま笹色に白んだ流れの中に消えて行きました。諦めと後悔と、諦めきれない気持ちとで冷静になるまでしばらく時間がかかりました。・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・??・・!
・・・・今日は釣れる!(偉いぞ、俺。すごくポジティブ。)
「今日の本命ポイントはここじゃないじゃん。ここはただの時間つぶし。この時間帯にあんな魚が出るのだ。夕間詰めはきっと♡。」

新しい出会いを求めて即移動。

 この後、途中でバケツをひっくり返したような大雨に遭い諦めようかと思いましたが、濁りがひどくなることもなく、釣行を続け29㎝の綺麗なアマゴと出会うことができました。

 それにしても悔やまれるばらした大アマゴ。逃した魚は大きいと言いますが、本当に大きかったなぁ。29㎝でも大喜びのはずなのに、小さく感じ喜びも半減。

「くやしいです!」

 この悔しさをバネに、休日の度に家族や仕事を放り出して川に出かけたのは言う間でもありません。


2008年9月21日日曜日

続2本の尺アマゴ


 昨日は午前中仕事だったので午後から夕間詰めだけの釣行。
職場から近い長良にするかホームグラウンドにするか決めかねていた。
前日の台風の影響が心配だったがインターネット(国土交通省 【川の防災情報】 地域選択 (中部地方)で調べてみた。
長良はほとんど雨が降っておらず、ホームグラウンドは結構降ったようであった。
う〜ん、悩む。
前回は、渇水気味のホームを諦め山ちゃんと長良の支流に行った。28㎝のアマゴを掛けたがどうも魚が痩せていてこの時期の魚にしては満足できなかった。
やはりホームの筋肉質のついアマゴを釣りたい。
そこで、ホームの谷に住まわれるNさんに川の状況を尋ねてみると、水嵩は渇水していたため平常値に戻ったくらい、色は餌釣ならできるかなと言うくらいの濁りであった。
ラッキー!水が出れば魚が動く、色がついていれば他のテンカラ師はたいがい諦めるし、でかい魚が出やすくなる。
即、ホームに向かった。深夜なら2時間で着くのだが日中はやはり3時間かかってしまった。でも良い時間だ。現場到着15:30、辺りに車はなく人の入った気配もない。予想通りの水量、色、文句なし。
 はやる気持ちを抑えながらいつもの場所から入渓、しばらくつり上がるがいつも着いているところから魚が出ない。濁りが有るので瀬脇の緩いところ、岩盤の際を丁寧に流す。出るぞ、出るぞ・・・出ナ〜イッ。
でも、こんな時は絶対大物が釣れるんです。しばらくすると大淵の岩盤の脇から流心に向かって#6の毛鉤を流すと白っぽい大きな影がぬ〜っと毛鉤を追った。食わない。食わナ〜イッ。毛鉤のサイズをおとして#10を流してみたが・・・・・・出ナ〜イッ。(もういいか)
この淵は以前はたくさん魚がいたが砂で埋まってしまったため今年は全然だめだったポイントだが、その後瀬脇から芯に向けて何度か流すと魚が出始めた。まあまあのサイズのも出たが結局20㎝足らずのチビが一匹だけであった。
やはり魚はいている。絶対釣れる、大物が。確信と期待を胸に次のポイントへ。
 陽が山陰に隠れ辺りは薄暗くなってきた。左岸側に大きな岩盤が有り大きくV字に切れ込んだ岩盤が小さな淵を作っている1級ポイントだ。ここには尺が着くと師匠に教えてもらったが未だに見たことがなかった。
慎重にまずは手前の岩盤の際からそして、淵に流れ込む流れの脇へ。メインのV字の淵を攻める前に丁寧に手前から毛鉤を射っていった。少しずらして2投目を射ち、流れに漂わせ毛鉤を引こうかと思った瞬間、大きな魚体が水面直下でゆっくり毛鉤をくわえ水面を割って反転した、と同時に竿にずしんという重みが伝わり竿は満月にしなっていた。前々回のホーム釣行で大物をばらしているので慎重にやり取りをし、流心に入り込まれないように魚をいなし、なんとか岸に引きづり上げた。無事取り込みに成功。
一人で「やった!大きい、尺あるぞ。」と言いながら計測してみると32㎝あった。体高があり、筋肉質で厳つい顔に大きな鰭、やはりこの川のアマゴは最高だ。鉤はがっぷり舌の奥に掛かっていた。あの出方、そして鉤の掛かり具合からすると、何の疑いもなく安心して食ったに違いない。前回師匠に付いてもらった時にアプローチの悪さを指摘された。多分この指摘がなければ濁りがあるからと、いきなりメインのポイントに毛鉤を射っていたに違いない。そうしたらこの魚は掛けることができなかった。当然条件もあるがアプローチに気をつければ未熟な自分にも簡単に尺が掛けられる。難しい流れにいた訳でもなく、難しいキャスティングだった訳でもない。本当に簡単に釣れた。師匠に感謝
これで満足して納竿しても良かったのだが、まだ釣れる気がした。それから大岩の後ろの緩いところを中心に釣上がった。しかし、いいサイズの魚が出るのに掛けられず、時間的にも最後のポイントに着いてしまった。
 ここは川の真ん中に大岩のあるポイントで、2年前には尺を今年は29㎝を掛けていて特に今年はここには魚が多く期待がもてた。何時ものように大岩の上から岩の間の流れを流すと、流れの底から2〜3匹魚が浮いてきて、そのうちの一番大きいのが毛鉤を食った。しかし、大岩のすぐ横(足下)で食ったため、合わせを入れることができずあたふたしていたが、テンションが掛かっていなかったのが幸いして、#10の鉤を飲み込むくらいガップリ食っていた。最後は弛んだ糸を手で引き大岩を滑り降り(滑り落ち)浅瀬まで引張っていき、ようやく取り込んだ。何とも無様な取り込みになったが30.5㎝の婚姻色の出た立派な雄アマゴだった。2匹とも舌の奥に鉤が掛かっていたが流血することもなく外すことができ、撮影後、元気に元の流れに帰っていた。
 当にラッキーな釣行だった。振り返ってみると、掛けた尺2本は本当に簡単に掛けることができた。何匹か掛けたチビアマゴの方が釣るのが難しかった。そして、いいサイズのアマゴが何匹も出たのに掛けられなかったことが自分には引っかかる。アプローチ、立ち位置、毛鉤を射つ場所、タイミングそれらがもっと見えていれば釣ることができたに違いない。師匠ならきっと全部掛けていただろう。いや自分が出せなかった魚も掛けていただろう。めったにない好条件の日に自分の未熟さを痛感した1日だった。

*上の写真は昨年同ポイントで師匠が釣り方を教えてくれたときのもの



2本の尺アマゴ





昨日は最高の日!ホームグラウンドの川で32㎝、30.5㎝の尺アマゴを2本掛けることができた。その事を釣仲間のちゃん(花立毛鈎工房)に報告すると、「これを機にブログをやってみたら」と言われ、勢いで始めてみました。なにぶん無精者で何時更新するか分かりませんがよろしくお願いします。