2008年10月28日火曜日

平谷湖

 オフシーズン毎年恒例の平谷湖に行ってきました。
みんなはテンカラ忘年会の翌日にやってきますが、自分は毎年都合が合わず、未だに参加したことがありません。(一度参加してみたいな)
と言うことで、今年も平谷湖だけの参加です。
今回は、山ちゃんとその愛娘、そして内の三男坊と一緒です。
天気は、あいにくの雨。自称晴れ男の山ちゃんが一緒でも雨。(前回、山ちゃんと一緒に内の子ども3人を連れて行った時も雨)山ちゃんの娘さんが「お父さんの行いが悪いから」と言っていましたが、一緒に釣りをしている姿を見ると、とても良いお父さんでした。

久しぶりに石垣先生とアマゴンスキー木村さんとお会いして、一緒に記念撮影。


内のおチビさんも頑張って釣りました。


やった!釣れたね。
後ろでほのぼのと優しいお父さんぶりを発揮する山ちゃん。

2008年10月25日土曜日

カメラ

   
前回の釣行(今シーズン最後)のとき、デジカメを持っていけず、携帯で写真を撮りました。当然、画素が荒くがっかりです。我が家にはデジカメが1つしかなく、妻が子どもの行事で使うとなれば、親父の釣りに持って行くなんてできるはずありません。もともと、だいぶ前のカメラでシャッターを切ってからのタイムラグが大きく、シャッターチャンスを逃すこともしばしば、想い通りの写真を撮るのに苦労していました。おまけにディスプレイも小さく、どんな写真が撮れているか家に帰ってパソコンで見るまで分からない始末。
 そんな訳で、新しいデジカメを購入しようと思い立ちました。
山ちゃんも今シーズン新しい防水のデジカメを購入し、水中写真まで撮っています。最近は水没することも少なくなりましたが、やはり防水というのは心強い。
 で、この2つ。悩んでます。
ペンタックスの方は5倍の光学ズームと1㎝の接写、そしてリーズナブルさが魅力。オリンパスは防水10m、耐衝撃2m、耐加重100kgf、対温度-10℃というタフさが魅力です。
どなたか、どちらがお勧めなのか教えて頂けないでしようか?

2008年10月15日水曜日

釣れ連れなるままに 〜その⑦“続毛鉤”


#6の毛鉤 これも今シーズン活躍した鉤(詳しくは“納竿”を見て下さい)
 前回紹介した#4のフックはガマカツS10−3Fですが、これはTMC 104SP。S10−3Fの#6が欲しいのですが、手に入らないためこれを使っています。このフックはS10−3Fより重め。メーカーでは、水面および表層用というコンセプトで出しいるため、確かに重すぎず、軽すぎず、水面直下を水に絡みながらゆっくり流れる感じがします。師匠は「鉤の形はいいが色が、黒ければな。」と言っていました。


下から見るとこんな感じ。 美味しそうでしょう。


#10の毛鉤 これは、今シーズン2本の尺を掛けた鉤
 これもTMC 104SP。メーカーは強度があると言っていますが、このサイズになると自分は弱い気がします。伸びはしないのですが何本も折っています。(使い方が荒いのかな?)今までこのサイズから上は雉を使っていましたが、今年初めて鶏を巻いてみました。そうしたら非常に使い勝手が良く、大当たり。なくてはならないパターンになりました。ハックルは色違いのコックとヘンの2種類を合わせて巻いてあります。もともと#12以下ではよく巻くパターン。もっと軽いフックを使う場合はコックハックルだけのパタターンもよく巻きます。いずれも実績があり一番信用できるパターン。

 普通よりもハックルが多すぎるように見えるでしょ。多いんです。ガンコ(遠州弁?)巻きます。師匠は多く巻いておいて、状況によってその場でハックルをむしって調節しますが、自分にはなかなかできません。なので、多いパターンと少なめと2種類作ります。でもほとんどこれでOKです。他にも#16、18のCDCを使ったソラックスダンやハックルもボディーも黒いパターンも毛鉤ケースに入っていますが、ほとんど使いません。
 
 今シーズンは今までよりも、自分のやりたい釣り、こういう毛鉤の使い方(川の状況、射つ位置、流し方等)が少し分かってきたような気がします。
 
 師匠が言うには

「魚が教えてくれる。」

そうです。

2008年10月13日月曜日

釣れ連れなるままに 〜その⑥“毛鉤”


今までに師匠から頂いた毛鉤の一部
 師匠は使ってみろと言って気軽にくれるのですが、実は、使わずに大切にとってあります。私の宝物です。 
この毛鉤をお手本にしています。



今年活躍した#4の毛鉤
使い方次第でこの鉤にでかい魚が出るんです。 


 石徹白で師匠に出会い、ホームの川に誘われ出かけた時のことである。
自分はそれまで、最強レベルラインに影響されてとにかくでかい毛鉤を多用していた。毛鉤の巻き方も、素材も知らず、今考えても「そんな毛鉤で釣れるけ?」というような毛鉤を巻いていた。
(石徹白でF原さんに毛鉤をもらって初めて、本物の毛鉤を見た。それから毛鉤の機能、釣り方を指南して頂いて初めて魚を釣ることができたのだが。)
 その年の春、この川に独りで釣行したことがあった。その時川で出会ったテンカラ師に釣果を聞かれ、全然釣れないこと、今まで渓魚を釣ったことがないことを伝えると、毛鉤を見せてみろというので見せた。するとこんな毛鉤で釣れる訳がないとひどく馬鹿にされた。そしてその人の毛鉤を見せてくれた。#12くらいの小さな毛鉤だった。それで何匹もアマゴを掛けたというその人の話を聞きながら、凄く悔しく思った。自分が釣れないことでなく、自分が憧れている鬼の釣りを馬鹿にされた気がしたからだ。(今思えばあの鉤ではしかないのだが)
 その事を師匠に話し、その毛鉤を見せると笑うどころか「これで釣れるよ」と言って、お世辞にも釣れそうとは言えない毛鉤を使って、目の前で本当にアマゴを掛けてくれた。
師匠が言うには
「その衆は、こういう鉤の使い方を知らんダヨ。こういう鉤じゃニャア出ん時もあるし、普通の衆は飛ばせんダヨ。」

 嬉しかった。師匠の腕にも感動したが、入門仕立ての新人にまで、やってきたことを無に帰させないという心遣いに感動した。

「それぞれが、自分の信じる釣りをすればいい。それをするための知識と技術を身につければいい。間違いなんかじゃない。」

師匠の釣りを見てそう教えられた。

2008年10月9日木曜日

釣れ連れなるままに 〜その⑤“達人”

 石徹白のフィシャーズホリデーでは師匠を始め、いい出会いに恵まれた。兄弟子のF原さん、K分さん、カバちゃん、そして山ちゃん、最初に出会った鬼の釣りの一門である。
 自分はこのとき師匠と会った緊張のあまり、竿を仕舞うとき穂先を折ってしまた。そこに現れたのがF原さんである。顔はド怖いのにとても親切で穂先を直してくれたばかりか、毛鉤までくれ、一門の昼食の席に招いてくれた。その時、凄く怖かったのはカバちゃん。鬼の一門の風格があった。(今はあんなに可愛いおじさんなのに。本当にお世話になってます。)そして、F原さんと絶妙の絡みを見せていたK分さん、下ねたが大好きで、小ちゃいけど頼りにになりそうな兄さん肌の人であった。(今はなかなか会えないけど、元気にしてますか?)本人は人見知りというけれど、初対面の自分に気さくに話しかけ、いろいろと細やかに気を遣ってくれた、山ちゃん。(ムッシュさんはこのときは石徹白不参加でした。)
 中にはなかなか会えない人もいるけれど、会えば気の置けない家族のように寛げる面々である。あれから、さらに仲間は増えたけれど、いずれも快い気持ちのいい人たちばかりである。仕事も年齢も関係なくテンカラという釣り、鬼を中心に繋がっていく仲間は、無邪気真剣で、まるで子どものように遊べる、そんな愛すべき存在だ。
 
 先日、そんな仲間のyo-zoさんのブログで仕事をとるべきか、釣りをとるべきか悩んでいたのを見て今回のサブタイトルを思いついた。
 
 この鬼の一門の面々は、釣りの腕もさることながら仕事でも達人が多い。師匠ももちろんそうだが、カバちゃんもその道では日本に数人しかいないという達人中の達人だし、小ちゃいのにK分さんは某有名企業の第一線で働くエリートビジネスマンだし、山ちゃんもその業界ではエリート街道まっしぐら、寝る間もないくらいの忙しさで働いている。F原さんは・・・・・・仕事では達人かどうか分からないが、釣り以外のある道(あまり人には言えないが)ではやはり達人である。
 釣りの腕を磨くような人は仕事にも必然的に同じような姿勢で臨んでいる。(逆かもしれないが)そんな人たちだからこそ、立場も年齢も超えて一緒に付合っていておもしろいのかもしれない。人間的魅力溢れているのである。
 
と、自分を振り返ると「まだまだだね。」釣りも仕事も修行が足りない。

頑張ろう!

2008年10月3日金曜日

釣れ連れなるままに 〜その④


 自分の竿を持ち釣り方を指南中の師匠  08.09.07 T川本流にて

 師匠のことは、今は絶版になってしまった「テンカラクラブ」という季刊誌で知っていた。この雑誌には瀬畑さんを始め天野さん、石垣先生など現代のテンカラを代表する名人が紹介されていたが、テンカラの鬼が一番のお気に入りになった。子どもがイチローや中田に憧れるように自分のヒーロになっていた。記事の中で語られていた、その武人のような釣りに対する姿勢と厳格さ、そして確かな釣りの理論。釣りに関して全く無知な自分にも「すごい」と思えた。
そして、極めつけが大鉤に長竿、ロングラインの釣り

「最強レベルライン」を知ったとき

「これだ!これしかない。」自分の求めるものが見つかった。
 
即ビデオを購入、テープがすり減るほど見た。カッコイイ!!(今ではDVDにダビングしたものを見ています。やっぱりカッコイイ!!帽子のつばは真っ直ぐだけど・・・必見です。)
そして、その憧れのテンカラの鬼・榊原さんが石徹白フィッシャーズホリデーでテンカラ講習会を行うことを知り、会いに行ったのである。

 会場に早めに着き、そわそわしながら“鬼”の現れるのを待っていると、来た!。その時のことは今でもはっきり覚えている。

小柄なその体に合わない存在感

ただ歩いているだけなのに、

その物腰、眼光の鋭さ、まさに武人

周りの空気を変えてしまうほどの威厳に満ちていた。
 
 話しかけたいけど、とてもそんなことできる雰囲気ではなく、ただ一定の距離をおいて遠目に見つめるだけだった。(オレって、ストーカーか恋する乙女)そんな中、勇気のある人も居るもので“鬼”に声をかけた人が居た。じーっとその様子を観察していると“鬼”に食われるでもなく、何やら自分の竿を持ち出し“鬼”に見せている。竿の調子を見てもらっているのだ。これはチャンス!急いで自分も車に竿をとりに行き、見物人の輪に入り込んで機会をうかがった。すると、自分の物欲しそうな視線に気がついたのか“鬼”と目が合った。(ビビるなオレ)勇気を振り絞り声をかけ自分の竿を差し出した。意外にも“鬼”は優しく気さくで、何処の何者かも分からない自分の竿の調子を当然のことのように見て下さった。糸をつけるようにと言われ、焦りながら自分の持っていたラインをつけると、“鬼”は再びその竿を手に取り、一振りで見たこともない綺麗なループを描いてみせた。何度もビデオで見た憧れのキャスティングだ。自分が毎日のように練習し続けても満足にラインを飛ばすことができなかった竿を、初めて手に持って、たったの一振りでである。同じ自分の竿とは思えなかった。
そして、鬼はこう言われた。
「この竿はこう振るダヨ。」と
 

これが、「テンカラの鬼」、師匠との出会いである。

そして、愛すべきテンカラ仲間との出会いもここであった。
・・・・・・・・・つづく

2008年10月2日木曜日

釣れ連れなるままに 〜その③

 なんで釣りを始めたかというと、いらん先回りで、子どもを自然の中で遊ばせるのに、何か一緒に遊べるものが必要だと考えたからだ。釣りでもやったら自然に興味を持ってくれるんじゃないか、そのためにはまず、父親の自分が釣りができなければならない。そんないきさつである。
しかし、そんなことをせずとも子どもたちは自然が大好きに育ち、野に放てば何もなくともいつまでも遊んでいる。そして、子どものためにと始めたはずが、今では子どもほったらかしで自分がのめり込んでしまった。始めたばかりの頃は、まだ5歳の長男に竿を持たせ、自分は背中に次男を背負い、胸には三男をだっこしてテンカラをやったこともあった。(子連れテンカラ師)解禁当初の谷に一家総出で出かけ、寒空の下、妻に子どもたちを預け自分はテンカラに没頭したこともあった。(おかげで、山が嫌いでなかった妻も今では大嫌いになってしまった。)

 数ある釣りの中で何故テンカラを選んだのかというと、道具立てがシンプルだったからである。(金がなかったからというのも理由の一つ)竿一本、糸と毛鉤それさえあればどんな状況でも対応できる。風呂敷的なところが気に入ったのである。それさえあれば使い方次第で何にでも対応できる、万能なもの。物事の本質や心理を追い求めていた自分には直感的にこれだと思えた。しかし、その存在は知っていたものの学ぶ術がない。インターネットや数少ないテンカラの書物からの拙い知識だけで始めてみたものの・・・釣れない。独学でのキャスティング練習、川も流れも見れず何も知らずの実釣を半年くらい続け、このままではどうにもならないと思った時、自分に一筋の光が射した。

それが、師匠、テンカラの鬼、

榊原正巳である。

つづく

2008年10月1日水曜日

釣れづれなるままに 〜その②

 学生のころに大阪に初めて行ったとき、都会の喧噪に圧倒され、暴力的に押し付けられる情報量の多さに、五感が麻痺して行くのを覚えた。(ただ、自分が田舎者で情報を処理しきれなかっただけかもしれないが)自然の中に居る時とは正反対の感覚。
このとき思ったのが、自分には「能動的な受動」があっている、ということ。自分が、意識的に感じようとしなければ感じられない感覚、決まったもの(人工的なもの)を押し付けられることで得られる、限られた情報でなく、あるがままのもの(無為自然なもの)をあるがままに受け入れることによって得られる、無限に広がる知覚が、それを感じ取れる五感がとても大切に思えた。

また、話が長くなってしまった。

 子どもが産まれて父親になり、子どもにも同じ感覚を持って欲しい、教えたいと思った。
今思えば子どもは素晴らしい。歩くことを覚えて間もない長男は、その足から伝わる大地の感触を楽しみ、平滑ではなく起伏のある地面を駆け回り、転がりその感触を全身で感じ取りながらはしゃぎ喜んでいた。日の光の暖かさや風の抵抗に、その広さに心奪われいつまでも飽きずに遊んでいた。遊具も何もなく、ただ全身に伝わる自然の感触を楽しみ喜んでいた。教える必要はない、ともにそれを喜び、環境を与えてあげさえすればいいのかもしれない。もしかすると、初めに飽きて退屈になり“つまらない”と思うのは大人なのかもしれない。気付かないうちに“つまらない”という感覚を教えているのでは・・・・。何にしても、浅はかな先回りと何でも与えるというのは良くない。環境を用意してあげること、飽きずに付合うこと、本当に必要な時だけほんの少しだけ助けてあげること、そして共感してあげることが必要なのだ。

あれ、教育論になってしまった。
『やっちまったな〜』・・・・・・・つづく