スタンダードテンカラ


 テンカラは竿と糸,毛鉤だけを使ったシンプルな釣りです。このシンプルな道具立てで,小さなポイントを点で釣ることも,流れの筋やフラットな面を2次元的に釣ることも,また水中を3次元的に釣ることも可能です。水面に浮いた毛鉤に飛び出し,水中で毛鉤を喰わえ反転する渓魚達の姿を見ながら釣るのは,とてもエキサイティングです。また,流れに沈めた見えない毛鉤を喰わえる渓魚を予測と想像,直感で,アタリを感じながら釣るのも奥が深くテンカラの醍醐味です。

 
 テンカラは伝承的な職漁師の和式毛鉤釣りで、その歴史は古いです。(詳しくは石垣先生のホームページテンカラ紹介を参照して頂きたい。)しかし、ゲームフィッシングとしてのテンカラの歴史はまだ浅く、各地に伝承的に伝わってきたものだけに、各名人による流派性が強く、まだスタンダードといえるものが確立されていません。これが、テンカラがメジャーになりきれない一番の理由ではないでしょうか。
 自分も鬼の釣り、榊原流テンカラを求道する者として例に漏れていませんが、師匠に心酔し、追い求めれば求めるほど一門としての敷居が高くなってしまいます。多分どの一門でも同じことがいえると思います。自分のやっている釣りが一番、そう思うのは当然です。結果、初心者に「どの釣りが正しいの、どれが基本なの」と言う疑問を持たせ「テンカラって難しそう」と思わせてしまうのではないでしょうか。(下手をすると、普及したいと思っているのに自分たちの行動の結果、逆の状態を作り出しているのではないか、そんな不安が・・・・・。)

 主流があって亜流がある。支流が集まって本流を作る。テンカラもそうであるべきです。「スタンダードテンカラ」あると思います!(石垣先生はきっと主流を作ろうと尽力されているのだと思います。)
 アプローチもキャスティングも理にかなったものがあります。フライの世界ではかなり科学的に研究されていて理にかなったものが知られています。これがスタンダードです。テンカラも竿を使って糸と毛鉤を飛ばす以上、物理的に理にかなったキャスティング方法があります。奇抜なホームや道具は必要ありません。伝承というのは厄介なもので、確かに長年培われ理にかなったものもありますが、「昔はこれしかなかったから」に気がつかず、未だに頑に守り続けているものもあります。





 自分は鬼の釣りにスタンダードがあると思います。師匠が取り上げられる時にはその神業的な技術から、カリスマ性が全面に押し出されがちですが、師匠は自分の釣りを極めると同時にスタンダードも作り上げています。師匠の釣りは伝承を受け継いだものではありません。そして、理にかなった無理のない自然体が基本です。川に入ってから魚を掛け、取り込むまで無駄な動きがありません。誰もがまねのできないものではなく、誰もがお手本とすべき姿がそこにあります。


 フライの雑誌「Fly Fisher」2009年4月号(釣り人社)にパタゴニアの創始者イヴォン・シュイナード氏の「Simple Gifts」という記事が載っていました。氏はフライマンですが最近はテンカラをやっているそうです。(昨年、師匠がアメリカ釣行に行った時に同行し親交を深めたそうです。)イヴォン氏は禅に傾倒し、現代の物に溢れた社会、あまりに進化し多様化し道具に頼りすぎるフライフィッシングに警笛を鳴らしています。「なにごとにつけ、熟達の域をめざすなら、シンプルさを求めることだ。複雑なテクノロジーを、知識や努力、スキルで置き換えることである。」「〜スポーツの目的とは、精神的、肉体的に成長することである。もしあなたがプロセスにおいて妥協をすれば、変わることもできないだろう。」氏はそう言っています。そんなイヴォン氏がテンカラをやっています。嬉しいことす。そして、期待が持てます。
 今の日本、市場主義世界の中でこの考えがどれだけ受け入れられるか。エコロジーが叫ばれて久しく、現在は世界的な不況の真っただ中。もうそろそろこのミニマルな考え方が普及してもいいのではないでしょうか。

 テンカラのスタンダードを確立すること、そしてそのシンプルさが受け入れられること、それがテンカラのメジャー化につながるのだと思います。

0 件のコメント: