2010年8月25日水曜日

間詰め



 黄昏とは古くは「誰(た)そ彼(かれ)」と人の見分けがつき難い夕暮れ時のこと。また,かわたれは「彼(か)は誰(たれ)」で黄昏が夕暮れをさすのに対して,明け方をさすことばです。昼でもなく夜でもない,光と闇が共存するわずかな時間。世界が溶け合い一つになるこの不思議な時間帯,我々釣り人は間詰めと呼び,寸分の間を惜しんで竿を振り続けます。魚と釣り人の活性が最高潮に達するときです。



 秋神から戻った次の日の午後から一泊でホームに行ってきました。毎日猛暑が続き,釣りになるのは間詰めのほんのわずかな時間だけです。


 何時ものルートが埋まってしまったため,新しいルートを開発中です。川の様子も来る度に変わります。減水すると同時に流れが変わり,ポイントだった所の川床が露出したり,この前まで渡れた所が,川床が掘れて渡れなくなったりと,まだまだ落ち着きません。入渓地点から脱渓地点,川通しをする場所,魚の付く所までみんな分かっていたルートのようには行きません。夕間詰めのわずかな時間,焦る気持ちと戦いながらポイントを探し,渡れる所を探し何百mも戻ったり,脱渓点を気にしたり,無駄のない釣りをしなければならないのに思うように行きません。


 次の日の午前中,朝間詰めから新ルートを求めて釣り歩きましたが,夕間詰めにやりたいと思えるポイントが見つからず,その日の夕間詰めも別ルートを求め釣り歩くはめに。

初日の夕間詰め,最初のポイントで掛けた24cmの雌



倒木の裏のたるみ,一発で掛けた23cmの雌

 魚のコンディションは良く,よく肥えていました。これから産卵に備えてたくさん餌を食べ,さらに大きくなっていくでしょう。
 結局,今回の釣果は初日の夕間詰めに上のアマゴ2匹,次の日の朝間詰めに20cmのアマゴ1匹,そしてその日の夕間詰めにイワナ3匹,チビアマゴ1匹でした。この時期の間詰めの釣果としては残念な結果です。

 今回,改めて思ったのは,朝間詰め,夕間詰めを釣るには,事前の下調べが重要だということ。今まで夕間詰めだけ行って,いい釣りができたのは何年も通って得た情報の蓄積があったから。いい魚を釣るには単に技術だけではなく,経験と知識が不可欠だということ。知っているのと知らないのでは大きな違いです。

 この前,秋神に行ったとき夕間詰めに何処へ入ろうかと悩んでいたら,師匠に「俺なら川の様子を上から下まで見て来る。ポイントや底石の状態とかを見て来るけどな。」と言われました。今思えば,なるほどと思います。
 これだけ川の様子が変わってしまった今,またホームに通い続け情報を蓄積していくしかありません。



 そういえば,以前はよく朝間詰めから夕間詰めまで炎天下の中でも竿を振っていました。皆に,こんな時間帯は釣れないと言われても。川に一時でも長く立っていたくて,寸分の間を惜しんで竿を振っていました。あの頃は自分にとって1日中が間詰めだったのかもしれません。

 釣れても釣れなくても,また長い間詰めが始まりそうです。経験と知識を蓄積するために。







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